迷いながら見つめる

朝はいつもおとぎ話のような瞬間がある。
両手でカーテンを開ければ、主人公になれそうな一場面。

すぐそばの交差点を見下ろしながら、上の階からはどんなふうにこの景色が見えるのだろうと空想をする。
下層に住む私には見えない。
私の窓辺からは、人々がすぐそこに見える、近くに感じる大切な空気感と景色がある。

マンションから見える景色が、まるで社会の構造のように思えた。
雲の上にいる人々の視界には、世界の片隅の路地裏はきっと存在すらしないのだろうと思い巡らす。
ないことになっているものを、存在を知らないものを、きっとどんなに賢くても変えられない。

見下ろすと隠れて見えない層に私は住んでいる。
見上げても霞んで見えない層を、私は空想している。
その空想も、ディテールはそれほど優れていない。
それぞれの持つ窓辺。

優しい朝、たくさんの情報が流れ込んでくる前に、私の窓辺で自分の言葉を書き留める。
とても曖昧で紐解けていないことを許しながら。

***

久しぶりに訪れた街で、緑の木々が風に揺れた。
午前中のまだ涼やかな日差しの中、揺れる木々と蝉の鳴く声が気持ちがいい。
とてもさわやかな朝。
この街の初秋の空気しか知らなかった。
いつかお世話になった人がいるビルを眺めた。
透視はできないけれど、壁の向こうで働くその人を、元気かなと懐かしんだ。

道端で叫ぶ人がいた。
誰かを罵る力強い恨み節みたいな叫びだった。
何があったのだろうか。
その姿の向こうの出来事も真実も見えないけれど、私には、少しそうしたい気持ちがわかる。
共感と同意は違うけれど、と自分に注意を促しながら。
私の中にある私自身の痛みが、寄り添っている。
もしくは、投影かもしれない。
苦しみはいつも他人事ではなかったから。
そのせいで膨らみすぎてしまう想像がある。
道端で叫ばなくてはならないほどの出来事があることを、下層に住む自分の置かれた立場に重ねて投影しているだけかもしれない。
彼がどんな身の上かわからない。
ただ、満たされた人の多くは、おそらく道端で叫ばない。
叫ぶほどの苦しみが明日には少し和らいでいますようにと、彼が今にも暴れ出さないかという恐れの中で願った。
この人に、ただいまと言う人や、電話する人や、愚痴をこぼせる人がいますように。

車いすの少年がいた。
関係性はわからないけれど、もう一人が隣を歩いていた。
兄か友人かなと思った。
彼ら二人とも、歩調も表情も朗らかに見えた。
歩けないことは、この子にとってどんなことなんだろうと思った。
外から見える違いとは裏腹に、それを本人が困難と受け止めているのか外からはわからない。
外から見える静けさとは裏腹に、人が何を抱えているかはわからない。
決めつけられることの痛みが通り過ぎていった。

心の中で、幸あれ、と知らない他者に願った。
何が願いで、何が投影で、何が真実だろう。
迷いながら私から見える景色を見つめた。

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