移りゆくものとツツジの訪れ

ドキュメントのテキスト設定をお気に入りの明朝体にして、本を開いているように文章を書く。
思いがけない時間に目が覚めてそのままデスクに向かう朝、スタンドの明かりだけつけて朝日が次第に昇るのを待ちながら文字を綴ることがあった。
交差点がにぎやかになり始める頃にはスタンドの明かりも必要なくなる。
つかの間の朝の静寂に、知らず知らず耳を澄ませる。
深夜の神秘とは違う始まりの予感が漂う。
毎朝がまるで特別だった。

誰かから聞いた。
朝四時半に起きてから朝の静けさを感じて、辺りが明るくなってゆく様子を見る日課のことを。
それを聞いた時期の私は眠気に覆われており、そんな時間に自分が目覚められるとは思っていなかった。
ほんの些細なことだけど、ほんの些細なきっかけで、私もそんな秘密の朝を迎えるようになった。
そうして迎える朝には、あの人も今頃朝を迎えて、いちばん好きな時間を過ごしているのかなと思った。
眠気に覆われていた頃には深夜という時間帯に入り浸っていたけれど、案外こっちもいいものですねと、朝の静けさを好きになった。

少し前からツツジやハナミズキが通りの向こう側に咲いている。
どの季節も自動車の音がしきりに聞こえる。
窓の外のざわめきがこのまま他人事であればいいのだけど、そういうわけにもいかないと季節の巡りが告げているような気がしてくる。
静かな日々に作った私の日課は、つかの間のものだったんだ。
次の場所へ行くまでの今を過ごすための日課は、またいずれ手放さなければならない。
ここのところそんな風に定まらないことが続く。
順風満帆になってみたいな、と思ってみる。
でもその順風満帆とはどういう状態かまでは、そうなったことがない私にはわからない。
一方で、挫け方が前より上手になった自分を好きになってもみる。
物語から一度覚めてしまったあとで、もう一度、報われないことに宿るものとか、後悔からまた新たに向かってゆく気持ちとか、そういうものに美しさを感じることを許したい。
どうやったら、心の中にある大切なものを守ったまま、外の世界とつながってゆけるのだろう。
そう何度も問いかけては、「道の途中にいる」と思うことで少し安心する。
私にあるのはその都度の答えだけ。

魔法使いたちが路銀を稼ぎながら旅をする生活はいつも死を忘れられない。
でも、死が今ほど大事なものかわからない世界なのかもしれない。
そんな風に暮らしてみたいのかわからないけれど、路銀がついたら必要な分のお金を稼いで旅を続けるパーティの継続方法がいいなと思うことはある。
私の住んでいる世界においては、その時々というわけにいかないような気持ちになるからだ。
でも魔法使いという職業から何らかの依頼を受けて彼らの生活を支えているのだから、やっぱり技術は人生を支えてくれるのかもしれない。

昨日の散歩道を思い出す。
鮮やかなツツジと、もう枯れてしまった茶色のツツジの植木は同じとおりに並んでいた。
私もいつも死を忘れない。
鮮やかなツツジはやがて咲き終わってこんな風に茶色くなるんだ。
それはそんなに悲しいことなのだろうか。
それもよくわからない。
そこで綺麗に咲いていたんでしょう?
今はその時期が過ぎたということでしょう。
同時にそこにある現実をとおりすぎてゆく。

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