私の随筆の多くはまず感覚から始まって、そのあと思考を描き、時々また感覚に戻ってゆく。
例えば朝の窓辺で始まり、思想にもぐり、また窓辺の日常に戻っていくように。
6月7月、空も私の生活も雨降りだった。
こんなこともあるよねと思うには、「こんなこと」が続いて眠りも途切れ途切れ。
Dreamcoreとはほど遠い場所からやってきたような、鮮明で忘れたい夢をたくさん見た。
代わりに、Dreamcoreのプロンプトを打った。
付き合いの長いイマジナリーフレンズのゆめちゃんが、疲れ切った私のとなりで傘をさしてくれても、私はなかなかもとの光を灯せなかった。
雨は誰かの力では止まないことを知っていても、ゆめちゃんはとなりにいる。
ゆめちゃんはやがてまたその人が空で輝き始めたら、空の下で見上げ、見守る。
ゆめちゃんが疲れたときは、誰が傘をさすのだろう。
役割が、人や場面によって入れ替わっていく様子を考える。
ゆめちゃんはきっと傘をさしてあげるだけの人ではなく、誰かに傘をさしてもらうこともあるのではないかとふと思った。
カレンダーには色鉛筆で赤い丸。
誰かとの楽しい予定、私が決めた予定、知らせが届いて調整した用事。
一人でいても、社会のシステムの中で動かされてゆく物事がある。
冬頃、ずっと一人でいようかと思った。
身近な世界でだけ生きていこうかと思った。
そのほうがもう傷つかないかもしれない。
でも、ふと扉を開けて進んでみたら、思いもよらない景色が見えることもある。
私には、私の人生の景色しか見えないけれど、思うような物語にはならないけれど、先はわからず、退屈とも違う。
幸福とも違う。
その都度の受容と地に足の着いた冒険の積み重ね。